鉛筆なめなめの日々

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

言葉を間違える難しさ

言葉というのは、時代と共に変化して行くものであり、極論を言えば、相手に伝われば間違いという事はないのかもしれない。
しかし言葉には、歴史的な背景があり、それを知らずに間違えるというのは、国語力に問題があると言えるだろう。
ただ、文学的表現(というと、大袈裟だが)として、言葉をわざと間違えるという事はあると思う。
例えば、挨拶で「こんにちは」と正しくは表記するところを、あえて「こんにちわ」と表記する。
これは馬鹿っぽさの演出としては有効だ。
本来の言葉の由来を一切無視して、単純に音のみで言葉を表記する事により、馬鹿っぽさ、幼児性の表現としては有効だと思う。
しかしこういった表記には、読み手側のリテラシーが求められる。
あえて馬鹿っぽさを表現するために、わざと間違えているのに、それに対して「日本語としておかしい」と文句をいうのは無粋であるし、間違えている事がわからない(日本語として間違っていると思わない)読者は論外であろう。
平仮名で長音符を使うのも同様。
わざと間違える事によって醸し出される馬鹿っぽさ、口語っぽさというのは、正しい日本語を読み手側も理解していないと伝わらない。
ただもっと本質的な問題として、現代仮名遣い自体が、過去の歴史から分断され、一部を除いて単純に表音のみので決められているという事もある。
本来であれば旧仮名遣いの方が合理的で整合性をもったものであるのだが、中途半端な現代仮名遣いが、こういうわざと間違える事への障害となっている面もあるだろう。
そう考えると、根は深い気がするが、この件については今日はこのぐらいで。
スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。